以下、『BE-COM 6月号 vol.236』 (2012.6.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用
オランダの学校を訪問して
【リヒテルズ氏との出会い】
私は、高校で教諭を勤めていた。生徒中心の学級運営、部活動や学生寮での自立的な組織作り、協同的な学びの授業など充実した教育活動であった。しかし、大きな壁にも直面していた。学校外での生徒を取り巻く環境だ。家庭や地域、社会が与える生徒への影響は大きい。経済不況で親が失業している家庭、TX新線開通や郊外大型店の進出によるまちの衰退。治安の悪化、若者をねらった犯罪、「勉強したって社会の役に立たない」と言う大人。
「何とかしなければ」そんな気持ちで解決策を模索する中で出会ったのが、リヒテルズ直子さんが書かれた『オランダの教育』だった。その本を読み、社会を変える教育・教育を支える社会という視点を得たのであった。それから約5‐6年が経った。学校を離れ、研究だけではなく、地域に入って声を拾い、教育について考えてきた。今回、そのリヒテルズさんに対面し、語り合い、オランダの学校をご案内して頂いた。
【画一教育から個別教育】
イエナプランの学校を中心に見学した。イエナプランの教育とは、学年の違う子供たちを混合してクラスを編成し、学び合う共同体を作る。自分で学習計画を立て、各自で課題に取り組む。一方で、対話や観察を中心とした授業が展開されている。自立学習と協同学習を組み合わせたものである。
私が見学した20名のクラスでの学習風景を紹介する。3つの学年が1クラスに在籍。1学年6名が先生の周りに座り、算数の説明を受ける。1回の説明で理解した児童は、自席に戻り、課題を取り組み始める。もう一度、先生は、かみくだいた説明をする。児童が、分かるまで繰り返される。そして、次の学年が先生の周りに集まった。
説明を終えると、先生は教室を歩き、質問を受ける。みんなの前で質問するわけではないので、内気な児童でも大丈夫である。また、教室に備え付けられているPCの教材で調べている児童もいる。同じ班の先輩から教わる児童もいる。先輩も教えることで、理解が深まる。異学年混合クラス編成の利点だ。
日本の塾で行われている個別教育の良さと、教室という社会の中で学び合う良さの両方が生かされた教育であった。
これで、学習は身についているか?そんな心配は不要である。全国模試のようなテストを行っている。点数を競うのではなく、今後の学習や指導の指針となる。本来の意味でのテストだ。結果によっては、心理学など専門家によるサポートも受ける。自由な教育が認められる反面、教育監督局の指導を受けており、自由放任なわけではない。
【3分の2の労働時間】
見学して、一番の驚きは、教員までワークシェアリングをしていることであった。担任の先生は、交代で出勤。教材会社から購入したカリキュラムを使って授業する。
日本では、担任する生徒については、その一生を面倒見るくらいの情熱を持って指導する。授業は、独自に研究した教材を使う。しっかりとした授業のために、今では、大学院で学ぶくらいでないと、高校ではつとまらない。教員の労働時間を減らしてもらったとしても、生徒との面談や教材研究にいそしむ人が多いのではないだろうか。
オランダの教員は、日本の教員と比べ、頼りない。逆に、そこがポイントなのかもしれない。たとえば、複数の教員が担任するためには、情報共有が必要である。つまり、「先生の城(閉ざされた学級)」にはならない。教材会社のカリキュラムを、複数の教員で進めることで、進度が保たれ、当たり外れがない。システムが確立し、教員はプロ意識が徹底していると言える。
オランダは、日本の3分の2の労働時間で、仕事効率が1.5倍である。日本の教員の素晴らしさを確認するとともに、労働環境を改善するためには、教員自身の意識改革が必要と気づかされた。
【現実的な解決策として】
オランダは、合理的な国である。慈善事業としてではなく、経済観念にもとづいて、教育に投資している。そして、真剣に、子どもの力を伸ばすための教育を目指している。そういった意味で、日本にも受け入れられやすい。
オランダでも、管理教育を打破して、自由教育を実現させた時代があった。しかし、現在は、放任の末に堕落した反省も踏まえ、きめ細やかに管理されている。管理‐自由ではなく、画一‐個別を軸に、教育を進めていく時期に来ている。
日本は、今のまま、非効率な教育を進めていくことは、社会にとっても損害である。日本の多様な社会へと移り変わってきた。オランダの学校から学ぶ部分も多いのではないだろうか。
柏まちなかカレッジ学長 山下洋輔