以下、『BE-COM 5月号 vol.235』 (2012.5.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用
若手百姓の奮闘
【農業と教育】
不登校の生徒の支援するプログラムを考えていた時のこと。虫博士と自称するOさんのお話を、初めてお聞きし、独特の世界に引き込まれた
悪い虫にもいいところがあり、いい虫にも悪いところがあることを知った。草食の虫は害虫と呼ばれ、肉食の虫は益虫と呼ばれるが、必ずしもそうではない。また、そのどちらでもない雑食の虫の存在も重要だ。
いろんな生物がいる畑が豊かであると教わり、多様な社会や組織のほうが強いと確認することになった。生物多様性という考えは、いじめや心の病にも訴えかけるものである。人と違っているほうがいいのだ。「こうあるべき」という規範はないのだ。みんな、それぞれの生き方がある。そんなことを気づかされた。
【若手農家のOさん】
Oさんは、柏市の農家に生まれた。慶応義塾大の出身。一時期は、会計士の勉強もされていた。卒業後、農業機械を扱う企業に勤めた。二男だが、決意して、農家を継いだ。
地域のしきたりや親とも葛藤しながら、有機農業など、新しい農業の形を模索されている。スーパーや飲食店に直売するなど、独自の販路を開拓し、地産地消を拡大させている。
名刺の肩書には、「百姓」。百姓とは、百の姓(かばね)。つまり、多種多様な仕事を意味する。まさに、Oさんは、現代の多様な課題と向き合う「百姓」である。
【農家の野菜市】
Oさんは、二〇一〇年一二月から、南部クリーンセンターで「農家による野菜市」を開いている。駐車場にトラックを並べ、そのまま屋台で屋台のようになる。シンプルだ。毎週土曜の朝七時から八時。これは、農家の仕事に差しさわりのない時間帯で、農家自身が売る。農家と消費者との交流の場となっている。
消費者は理解や安心が得られ、農家はニーズを把握する機会にもなる。地産地消にもつながる。私が参加した時は、「消費者はこんなことを知りたかったのか」と驚いていた農家の方の声を聞いた。
ここでの出会いから、農家になった青年や市民農園を始めたシニアがいる。農業や循環社会のモデルを研究する大学生がホームページを作ったり、ボランティアの方がドリンクサービスを行ってくれたり、その渦は大きくなっている。
【ミツバチ計画】
Oさんは、ユニークな発想の持ち主だ。まちに住む人が、家でニホンミツバチを飼って、「花のあふれるまち」にしようと呼びかけている。蜂は花の蜜を吸う。花がないと蜂は生きていけない。蜂を飼うと、まちに花が必要だと考えるようになるというのだ。単に、花を植えようと叫ぶのではなく、人の意識から変えていこうとする。
木を切り倒す時や蜂の巣に困っているという話を聴くと、飛んで行って蜂の巣を救っている。その救った蜂を、他の方に分けている。巣箱の作り方など、普及活動に取り組んでいる。
【農家の資格制度】
Oさんから、こんなお話もお聞きした。農家は、種や土、天候や虫、農薬や肥料、経営や地域の人間関係、その他にも学ぶべきことが沢山ある。にもかかわらず、農家に生まれれば、農家になれる。人の命の源である食物を作っているのだから、医師のように厳格な資格制度を設けた方が良いとい言う。
一方で、農家の生まれでない人が、農家になるのは難しい。後継者問題に悩み、耕作放棄地は増えているのに。
資格制度を設けることで、農家生まれでない人に、門戸を開く。これは、農家の仕事に誇りを持たせることにもなると語ってくれた。
【今こそ農業】
「帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす、なんぞ帰らざる(さあ、これから、故郷に帰ろう。田は手入れしていないので、荒れようとしている。今こそ帰るべきだ。)」
これは、中国の六朝時代の詩人、陶淵明が詠んだものである。戦乱の世、都会で官僚として暮らした陶は、田舎に帰り、農的な人間本来の生活に戻るべきではないかという思いを、この詩に込めた。
今、日本では耕作放棄地は拡大している。放射能による土壌汚染や風評被害により、その状況は、ますます困難をきわめている。今こそ、農業の大切さに気づき、農的な生活に帰ろうという運動が広まりつつある。食育、自然・農業体験、社会課題の解決など多岐にわたる分野で、その運動は起こっている。その中心には、Oさんのような「百姓」の地道な活動があることを、ここで紹介した次第である。
柏まちなかカレッジ学長 山下 洋輔