柏市鷲野谷が生んだ大正の法然、山崎弁栄上人没後百年を記念して

明治時代、日本に西洋文化やキリスト教、自然科学が持ち込まれ、政治制度や価値観が大きく変わった。
明治政府は神仏分離令を出し、廃仏毀釈により迫害された仏教界から、数々の改革が生まれた。浄土宗においては、旧・鷲野谷村(現・柏市鷲野谷)出身の山崎弁栄上人の活動が展開された。その思想は、宗教対立を克服する希望の光であると期待されている。
数学者である岡潔の本に、山崎弁栄について書かれ、弁栄の思想が岡の数学に影響を与えていることがわかる。

【山崎弁栄の思想】
山崎弁栄は、1859(安政6)年、旧・鷲野谷村(現・柏市)に生まれる。21歳で出家、弁栄の名を受ける。善光寺(松戸市)で本格的な布教活動を始め、インドの聖地も訪問。1918(大正7)年、もと時宗の大本山だった当麻山無量光寺(相模原市)の住職に迎えられ、翌年、光明学園(現・相模原高校)を設立した。

山崎弁栄は、浄土宗の近代化に止まらず、釈尊の教えにさかのぼり、さらにキリスト教や西洋思想をも包括・統合している。

以前、この「柏の街探訪」で、明治時代にニコライ大司教によって、キリスト教(ロシア正教会/ハリスト正教)の手賀教会堂が建てられたことをご紹介した。おそらく、弁栄上人は、幼い時から、キリスト教(ロシア正教会)とのご縁があったと考えられる。
布瀬を歩く–柏歴史探訪

山崎弁栄は、鷲野谷の農家に生まれ、その大地に根差した思想を語られた。日本の自然やスピリチュアルなど、宗教の根源である「霊性」を追究された。心のふるさとを見失いがちな現代に社会にとって、示唆に富む。

ふるさとはいづこと問わばしもふさの
手賀のうらべのわしのやの里

これは弁栄が、ふるさとを詠んだものである。ふるさと鷲野谷が、彼の心に生き続けていたことがうかがえる。

山崎弁栄は、念仏三昧をもって光明に摂取され、阿弥陀如来とともにあり、光明生活の中で暮らす「光明主義」を唱えた。死後だけではなく、現世の救済も強調されている点が特徴である。

山崎弁栄は、宗教・宗派を超え多くの方に慕われ尊敬されている。宗教が争いではく親和へと進む先駆者として評価された宗教思想家といえよう。

 

【少しでも多くの人に仏教を伝えていきたい】
芸術的な才能にもめぐまれ、仏画や書等を多く残し、独特の宗教芸術世界を開いている。特に、小さな米粒に南無阿弥陀仏の六文字が書かれた「米粒名号」には驚かされる。

これらの芸術作品は、これまで仏教との縁のない人々をも導くためのものだった。山崎弁栄の描いた阿弥陀さまの絵や書が盗まれたと聞けば、その泥棒が仏さまと出会うきっかけを作ることができたと喜ばれたという。

その考えは、お寺の設立のための勧進(寄付集め)でも見られる。寺を建立するための寄進には、一厘講といって、きわめて少額(今の1円、5円)から募り、多くの人々を巻き込んでいった。

当時珍しかったアコーディオンを使った布教も行っていた。子どもたちも集まり、仏教を伝えていったという。

 

【カフェで仏教を聴く】
今年4/21 日曜に鷲野谷の素敵なカフェEagle137にて、「柏市鷲野谷が生んだ大正の法然 山崎弁栄上人 100回忌記念イベント ~ Life is Journey」が開かれた。

Eagle137カフェは、山崎弁栄上人も眺めたであろう景色が開かれている。

アコーディオン奏者の岩城里江子さんの「報身の讃」の演奏に合わせ、楽書家の今泉岐葉さんが「南無阿弥陀仏」を書かれるパフォーマンスに始まりった。

アコーディオンは、少しでも多くの人に仏教を伝えていきたいとと活動してこられた山崎弁栄上人を彷彿とさせる。

山崎弁栄が得度した医王寺ご住職八木英哉氏によるご法話をお聴きし、あしかびの会代表でもある浜田穂積さんによる地元ならではの弁栄上人のお話、そして、写真家の森かずおさんによる東葛印旛大師の写真と岩城里江子さんの演奏など、盛り沢山の貴重な内容。

山崎弁栄上人 100回忌を迎える今年、こうして柏市内でも、山崎弁栄上人の功績を振り返り、柏市の歴史を学ぶ機会があることは素晴らしいことと思う。

このイベントでは、アコーディオン奏者の岩城里江子さんが、山崎弁栄の布教で演奏したという音楽を再現された。

講堂で話を聞くだけでは味わえない学びがあった。

 

参考文献
柏市史編さん委員会編『かしわの歴史―柏市研究―創刊号』柏市教育委員会
河波定昌著『如来さまのおつかい―弁栄上人の生涯と光明主義 ―』光明修養会

投稿者:

山下 洋輔

千葉県議会議員選挙(柏市)•立憲民主党公認候補予定者。 2021年10月、柏市長選挙(2021年)に無所属で立候補。43,834票を託して頂きました。その後、AIで水道管を救うFracta Japan株式会社の政策企画部長に。 元柏市議会議員。柏まちなかカレッジ学長。元高校教諭。2児の父。 教育学研究や地域活動から、教育は、学校だけの課題ではなく、家庭・地域・社会と学校が支え合うべきものと考え、「教育のまち」を目指し活動。著書『地域の力を引き出す学びの方程式』 (社)305Basketball監事。 千葉県立東葛飾高校卒業。早稲田大学教育学部卒。 早稲田大学大学院教育学研究科修士課程修了後、土浦日大高校にて高校教諭。早稲田大学教育学研究科後期博士課程単位取得後退学。 家族 妻、長男(2014年生まれ)、長女(2017年生まれ)