「山下洋輔の柏歴史探訪」をまとめ、発信していこうと、第1弾に柏市手賀に墓所がある原胤昭について取り上げたところ、柏市布瀬ご出身の小川先生からご連絡をいただき、いろいろと地域のことを教えていただきました。
※原胤昭 再チャレンジを支える地域の力
今日、小川さんのご案内で、柏市布瀬を歩きました。
布瀬は、柏市、我孫子市、白井市、印西市の境目です。いちごやパクチーなどの生産も行われています。
歩きながら、地元の方から、柏市政へのご意見もいただきました。
柏市布瀬三軒家の風景は、60年くらい前と大きく変わっていません。
変わらない良さとこのままでいいのかという不安を感じ取ることができました。私の考えをお話ししながら、住民としてのご意見をお聴きすることができ、貴重な一日となりました。
あらためて文章にまとめますが、メモをご紹介いまします。
歴史探訪として、まず「水塚」と「紺屋•織屋」について。
◆「水塚」は利根川流域の「水と戦い」歴史を物語る文化遺産です。
母屋より2mほど高く盛土し、その上に倉を備えています。洪水の際に避難する水防施設です。倉でしばらく生活が出来るようになっていると言われますが、実際に、母屋の改修の際には、寝泊まりされたというお話をお聞きすることができました。
◆紺屋•織屋を見学。
染物と機械式の機織り工場です。
オーナーは、明治期にキリスト教(ロシア正教会)に改修されています。
明治の近代化を、いち早く取り入れた地域といえます。
これらの機械の動力を作る機関場から織物工場に動力を伝えています。
織屋の末期に作っていた布が残っていたので、見せていただきました。
◆史料の保存と編集、活用
史料の保存についても相談を受けました。教育委員会と連携して、地域の歴史を後世にお伝えできるよう、史料を守っていきます。
◆宝寿院にある筆子塚
寺子屋の師匠などをしのんで、教え子たちが建てた記念の碑である。
碑には寄進者の名が刻まれており、その地域の文化構造を知るためにも重要な資料と言える。
地元の布瀬だけでなく、湖北、白井、布佐、我孫子、風早、手賀、舩穂などの地域の人々も名を連ねている。
◆香取鳥見神社
「おぼすなさま」と地元の方は呼んでいました。
香取鳥見神社の境内には、鴨猟の記念碑(昭和17年鳥猟組合が解散の際に建立)があります。手賀沼での鴨猟は古く、14世紀までさかのぼり、かつて猟が盛んであったことをしのばせます。
海上・水上安全の神とされる大杉大明神も祀られており、この地で漁業が盛んだったことも想像されます。
◆手賀城址
ここにも大杉神社。茨城県稲敷市阿波にある大杉神社信仰が、手賀沼、印旛沼、利根川下流区域等に広がっています。阿波の地名から、「あんば様」とも呼ばれ、親しまれています。
◆旧手賀教会と新手賀教会
わらぶきの旧手賀教会には何度も訪れたことがありましたが、新手賀教会は初めて訪れました。
新教会の向かいにある手賀狸穴(まみあな)公園は、最初に手賀東小学校が建設された場所で、「東校建設記念碑」が設置されています。碑には「文部大臣•法学博士 高田早苗」とあります。高田早苗は、早稲田大学の設立者の一人で、私が学生の頃、大学構内の銅像の前をよく通っていたので、親しみのある人物です。
◆沖戸の渡し、新田開発、ロシア正教会など、いろんなお話をお聞きできましたが、この地域は、秀吉の小田原攻めで大きく勢力が入れ替わったというお話が印象に残っています。
小田原攻めは、太平洋戦争や応仁の乱のようなエポックだったという指摘は、柏の歴史を考える上で示唆に富んだものです。
◆ランチはフィッシングセンターにあるヌマカフェにて。
手賀沼だより2月号には、鳥ビシャが取り上げられています。