「柏市鷲野谷が生んだ大正の法然 山崎弁栄上人 100回忌記念イベント ~ Life is Journey」が、鷲野谷の素敵なカフェEagle137にて、4/21 日曜に開かれました。
これまで柏市議会でも、山崎弁栄上人の顕彰を、没後百年の機に、柏市としても行っていくことを提案してきました。
今年、こうして柏市内でも、山崎弁栄上人の功績を振り返り、柏市の歴史を学ぶ機会があることは素晴らしいことと思います。
山崎弁栄上人は、少しでも多くの人に仏教を伝えていきたいとと活動してこられました。
当時珍しかったアコーディオンを使った布教も行い、子どもたちが集まってきたようです。
このイベントでは、アコーディオン奏者の岩城里江子さんが、子どもたちを連れて、当時の音楽を再現されました。
講堂で話を聞くだけでは味わえない学びがありました。
Eagle137でのイベントは、山崎弁栄上人も眺めたであろう景色を前に、
アコーディオン奏者の岩城里江子さんの「報身の讃」の演奏に合わせ、楽書家の今泉岐葉さんが「南無阿弥陀仏」を書かれるパフォーマンスに始まり、
八木英哉 医王寺ご住職によるご法話をお聴きし、
あしかびの会代表でもある浜田穂積さんによる地元ならではの弁栄上人のお話、
そして、写真家の森かずおさんによる東葛印旛大師の写真と岩城里江子さんの演奏など、盛り沢山の貴重な内容でした。
八木英哉 医王寺ご住職による弁栄上人のお話は、布教活動のみならず、私の政治や地域の活動にも刺激的なものでした。
できるだけ多くの市民と共に社会を考え、築いていきたい。
そのために、わかりやすい内容で、絵や音楽などを活用し、寄付集めも少額で多くの人を巻き込んでいく。
この道に足を踏み入れた時点で、それまでの自分は死に、生まれ変わって精進するという覚悟。
まさに、政治の道に足を踏み入れた時に、覚悟したことです。
智者の振る舞いをせずして、一向に念仏すべし。
法然上人の教えにもあるように、私も一生懸命に活動していきます。
※山崎弁栄 上人(1859~1920)について
1859(安政6)年、旧鷲野谷村(現・柏市)に生まれる。21歳で出家、弁栄の名を受ける。松戸市の善光寺で本格的な布教活動を始め、インドの聖地も訪問。1918(大正7)年、相模原市の寺の住職に迎えられ、翌年、光明学園(現・相模原高校)を設立しました。
西洋文化やキリスト教、自然科学が日本に持ち込まれ、政治制度や価値観が大きく変わった明治時代。
明治政府は神仏分離令を出し、廃仏毀釈により迫害された仏教界から、改革が生まれました。浄土宗においては、山崎弁栄上人の活動が展開されます。
山崎弁栄上人は、浄土宗の近代化に止まらず、釈尊の教えにさかのぼり、さらにキリスト教や西洋思想をも包括・統合して、宗教の根源である「霊性」を追究、「光明主義」を唱えた近代日本の代表的な仏教思想家です。
宗教・宗派を超え多くの方に慕われ尊敬され、宗教が争いではく親和へと進む先駆者として評価されています。
また、芸術的な才能にもめぐまれ、仏画や書等において無尽に豊かに宗教芸術世界を開きました。
特に、小さな米粒に南無阿弥陀仏の六文字が書かれた「米粒名号」により、これまで仏教との縁のない人々をも導きました。
お寺の設立のための勧進(寄付集め)では、きわめて少額(今の1円、5円)から募り、多くの人々を巻き込んでいったそうです。
山崎弁栄上人の描いた阿弥陀さまの絵や書が盗まれた時、泥棒の人に仏さまと出会うきっかけを作ることができたと言われたそうです。