今週は2度の視察があり、移動時間中、久々に小説を読みました。童門冬二さんの『小説 中江藤樹』です。憧れの中江藤樹の小説を読み、自分を見つめ、これからを考えるきっかけになりました。
山下洋輔らしい地方議員としての活動、よりよい社会づくり、今日の教育の流れ、自立した生き方など、ヒントが得られました。
戦乱の世から太平の世に変わる時代の転換期に、武士のあり方も変わってきました。戦場で、馬に乗って、槍をふるうのではなく、国を治めるための学問が求められるようになりました。
しかし、当時の武士たちにとって学問は立身出世の道具であり、支配者にとっては家臣や民衆を手なずけるための手段でした。このような傾向に危機感を持って、学問のあり方を示したのが中江藤樹でした。
幕府では、林羅山が中心となって、武士が学ぶべき学問を定めていきました。その内容は、権力者に無批判に従うことを強要するものでした。政権中枢と結びついている林羅山の教えを学ぶことが、お家の安泰や立身出世につながり、広まっていきました。
「より良い社会を実現するための政治」や「人間の生き方」を学ぶ学問を求めた中江藤樹の葛藤が描かれています。
今日でも、産業界が求める人材や支配しやすい人間を供給するための教育システムが受け入れられてしまいがちです。私自身の活動についても、その流れに流されぬよう、引き締めていきたいと思いました。
「処士」という生き方が示されています。
自分の生活を支えるだけの資産や商売を持ちながら、自分の考えを社会に発信していく生き方です。孔子や孟子も処士だったそうです。
浪人(失業者)があふれていた時代に、中江藤樹は、勤めていた藩をやめ、酒の販売などもしながら、地元で塾を開きました。
中江藤樹が塾を開いた琵琶湖湖畔の村は、教育によって、ギスギスした社会の空気をなごませ、犯罪もなくなり、人々が助け合い、生産性も向上し、豊かになり、幸せな人生を送ることができる地域になりました。
塾での学び方も理想的です。
武士や学者の学問でなく、村に暮らす人々の生活に根差した学問です。先生が教える形でなく、みんなで話し合いながら学ぶもので、これこそがアクティブラーニングです。
「中江与右衛門の思想は、民の汗とあぶらに裏打ちされ、その汗とあぶらで練りあげられたものだ」と表現されています。
私自身、大学を離れ、地方議員をしながら、地域の中で活動しながら学んでいます。柏まちなかカレッジや柏まちづくり倶楽部など、みなさんと話し合いながら、考えを練っています。まだまだ中江藤樹のような境地には至りませんが、少しでも近づけるよう努力したいと思います。