【文明の利器を活用する教育】
昨年、今年とマレーシアのクアラルンプールを訪問した。目的は、日本の子どもたちが、世界中の子どもたちと学び合える環境を作るためである。
通信技術が発達し、Zoomやskype(スカイプ)といった無料のテレビ電話を用いて、気軽に世界中の人々とコミュニケーションが取れるようになった。文明の利器を活用し、クアラルンプールの教室と柏の教室をつないでいこうと考えている。
英語が母国語ではなく、時差が小さく、通信環境が整っている都市の中からマレーシアのクアラルンプールを選んだ。そこには、マレー系、中華系、インド系など多様な人々が暮らし、宗教も文化も多様である。生きた社会から学ぶことができる。
柏市内全体の学校で実践するには時間がかかるかもしれない。まずは、寺子屋のような形で、身近な子どもたちに呼びかけ、実験的に始めている。日本にいながらでも、視野を広げ、日常の中に発見が生まれるような学習環境を整えていきたい。
【柏市内全小中学校が世界とつながる】
柏市は、トーランス市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)やグアム、キャムデン(オーストラリア・ニューサウスウェールズ州)、承徳市(中華人民共和国)と姉妹友好都市を結んでいる。
たとえば、英語を母国語としていない承徳市の小学校と柏市内全42小学校が、通信技術を活用して、それぞれのクラスで一緒に授業を開催したり、協同して研究したり、話し合ったりすることはできないだろうか?語学が上達してくれば、時差の小さいグアムやキャムデンの学校のクラスと学び合っていくこともできるのではないか?
大げさに考えなくても、世界を身近に感じられるという経験だけでも、意義があるのではないだろうか。
私が訪問したことのあるオランダのホフスタッド・リセウム高校では、ドイツや他のヨーロッパの高校と提携し、実際に起業をするという共通のプロジェクトに取り組んでいる。アフリカの水問題解決や教育プロジェクトも行っている。社会課題から学ぶというだけでなく、戦後のドイツとオランダの関係を修復していくための交流という意味も持っている。
【地域全体でアクティブラーニング】
新学習指導要領にて、アクティブラーニングや課題解決学習が定められ、教育が変わっていく。アクティブラーニングとは、子どもたちが受け身ではなく、自ら考え、学ぶ力を身につけるもの。
子どもたちが自発的に学び、教員は教え込まないということは、教員が何もしないということではない。教員は、学ぶ機会や環境を整え、子どもたちの学びが広がるような働きかけが重要になってくる。
また、アクティブラーニングは、教室の中での子どもたち個人の活動だけではなく、学校や地域全体がアクティブな学びを作っていくものだと、私は考えている。教員個人に任せるのではなく、学校や教育委員会の組織的な働きかけも必要だ。教員個人ではなく、学校や教育委員会がシステムとして機能してこそ、すべての子どもたちの教育を保障することにつながる。
すでに100年以上前に、デューイやキルパトリックら教育哲学者らによって、アクティブラーニングや課題解決学習の理論は完成している。こういった研究成果を、今こそ、実現させる時である。
【社会課題に向き合った「山びこ学校」】
日本でも、終戦直後の昭和 20 年代前半に、山形県の雪深い山村の中学校で、無着成恭氏による実践があり、今日でも評価されている。その実践は、『山びこ学校』という作文集から知ることができる。
『山びこ学校』では、「なぜ、自分たちの村は貧しいのだろう?」といった自分たちの課題に向き合っている。現代のマニュアル化された教材の課題とは違い、切実だ。
また、『山びこ学校』では、同じような実践をしている各地の学校と文通し、子どもたちは学び合った。その地域の情報やその土地の農作物などを交換し合い、生きた教材として子どもたちに示した。
当時は文通という手段だったが、今日ではインターネットを使った会議システムなどを活用することができる。先人たちの研究や実践を生かし、現代にあった形を追求していきたい。
【生きた社会は思考の教材】
授業もなく、時間割もなく、テストもないサドベリー・スクールという学校が世界に広がっている。そこには、個性を重んじ、子どもたちが自ら率先して、自由に学ぶ環境がある。「子どもは生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる」という信念で運営されている。
与えられた課題に取り組むのではなく、自分たちで学ぶ内容を選んだり、自分たちで課題を発見したりすることは難しい。現代日本の、自分たちの地域だけでなく、教室や学校の中に、他の国や地域の視点が加わることで、社会の見え方や考え方を深め、自由な学びへつながっていくのではないだろうか。
柏まちなかカレッジ学長 山下 洋輔