我孫子市湖北小学校で行われた手賀沼殉難教育者慰霊碑除幕式に参列しました。
71年前の昭和19年11月22日、手賀沼で多くの若い女性教員がお亡くなりになりました。
東葛飾郡教育会主催の研修会に参加する教職員が、現在の湖北小学校から現在の手賀東小学校に向かう途中の手賀沼で、突風のために船が転覆し、乗船者50人中18人が死亡する大惨事となった事件です。戦争末期、男性がいない小学校教育を、まだ10代、20代の女性教員が担っており、死亡した教員の16名は女性でした。
当時の小学生もいまや、後期高齢者です。地域の歴史として語り継いでいくべきものです。
大正新教育の流れの中、布佐小学校では、「自学中心主義教育」の実践で、千葉県下でも注目されていたそうです。そうした教育文化を振り返る機会にもなると思います。
手賀沼教員殉難の歴史を風化させておくべきではなく、事件後70年を節目に、顕彰すべきであるというご意見を頂き、私も柏市議会にて提案致しました。
我孫子市、柏市の校長会、教育委員会、議会からの働きかけで、昨年の11月22日に慰霊式が実現しました。
父親が戦死し、母親をこの事故で失った。その式典にて、ご遺族の方のお話をお聴きしました。事故そのものの悲惨さだけでなく、その後の生活の大変さが伝わってきました。戦争は、多くの人びとの人生を変えてしまいました。二度とあってはならないと思います。
手賀沼殉難教育者之碑は、昭和23年に、船着場近く、手賀沼を一望する場に建立されました。その後、昭和43年から手賀沼の干拓事業が始まり、当時の風景や地形は変わってしまい、碑の場所がわかりにくくなり、維持管理の問題も指摘されていました。
星野順一郎我孫子市長のご英断と我孫子市当局のご尽力で、手賀沼殉難教育者之碑を湖北小学校に移すことになりました。湖北小学校は、殉難された教育者たちの最期の研修が行われた学校です。小学校に移されたことで、これからも長く児童や教職員に、この歴史が語り継がれていくことになればと願います。
※この「手賀沼教員殉職事件」について、柏市教育委員会の教育研究所が資料を公開しています。
http://www.edulab.kashiwa.ed.jp/eduweb/15-teganuma/teganuma.pdf
※参考
①この事故でお亡くなりになれれた小林富みさんのお子さんである小林健氏によってまとめられたもの。「晩秋」
②沼南風土記
③手賀沼のあゆみ
④柏市史
⑤我孫子市史
⑥歴史ガイドかしわ