週末に歴史研究会で発表を依頼されており、その準備に取り組む。
大学院生の頃に研究してたテーマに関する本を読み返してみる。当時は理解しきれなかったことが、議員経験などを経て、理解できるようになってきた。
一方で、歴史研究の経験が、現代社会の仕組みや出来事を理解する上で役立っている。
ゼミの大先輩が、研究時間外に、ヤクザを題材にした漫画を読み、中世の組織を理解しようとしていた。
研究に役立つと、相続争いなどのサスペンスが好きな先輩もいた。
フーコーなどの現代哲学や社会契約論を読んでいる人もいた。
自治会やお寺や神社の集まりを手伝っていた先輩は、史料を閲覧させてもらうというだけでなく、ムラ社会の仕組みを体感できると話していた。
歴史を理解するために、現代の社会を知る必要がある。
そして、現代の社会を理解するために、歴史を知る必要がある。
歴史の研究は、その時代の特徴や枠組みを浮き彫りにする。
目に見えない世論や人々の悩み、楽しみ、感じ方、考え方。うまくいっているのかどうかわからない社会の仕組みや経済状況。
当時の人々には気づかないことかもしれない。
その時代をどのように見ればよいかという見方を示すことは、今を生きる歴史家の考えを示すことになる。
先向きの不透明な今の日本で、しっかりとした社会の見方を示し、これからのビジョンを打ち立てていくことこそ、歴史家に求められているのではないだろうか。
私は、歴史研究の第一線に立つ人間ではないからこそ、研究業界のしきたりに囚われず、在野の歴史家として、市井の出来事に触れ、地域の方々のお話をお聞きし、自分自身も現代を懸命に生きながら、社会の構想を打ち立て、未来を創ることに関わっていきたい。