常総歴史研究会にて講演―柏(松ヶ崎)出身である偉人•芳野金稜の史料の発見

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【芳野金陵について】
享和2(1802)年、松ケ崎村の医者・芳野南山の次男として生まれる。
ちなみに、長男の子孫が医業を続け、現在の巻石堂病院となる。松ヶ崎に巻石堂、如春堂、済生堂があり、柏に移る。巻石堂の芳野謙一郎は、千代田村村長に。

時代は、幕末から明治維新期。国内の財政は厳しく、政治制度もほころび、海外からの圧力が激しい時代にあり、学問は何ができるのか?
そんな問いに応えてきた儒学者である芳野金陵の生き様をご紹介いたします。

芳野金陵は、田中藩の改革を実行し、幕末の国防問題や学問所改革の提言を行っており、学者だけではない活躍が見られる。明治維新後も、新政府の大学の教授に。幕府時代から明治新政府への移行期に、一貫して「官学」の教官を務めた人物として、歴史上で重要な存在である。

◆22歳で、江戸に出て、亀田綾瀬から儒学を学んだ。綾瀬は、関宿藩の儒官を勤めていた。
◆25歳で、浅草に塾を開く。論語や孟子等の古典を中心に教え、塾での教授は20年にも及んだ。
◆46歳で、田中藩の儒官となり、正意の七男・正訥(まさもり)の教育係となる。田中藩の歴代藩主のほとんどは幕閣入りを果たしており、江戸幕府で重きを置く家柄であったと言える。

田中藩は、現在の静岡県藤枝市に位置する。柏市北西部は田中と呼ばれるが、これは江戸時代、柏市内に多くの飛び地の領地を持ち、船戸村と藤心村それぞれに代官所を設置していた本多氏の駿河国田中藩に由来する。金陵の出身地である松ヶ崎村も田中本多藩領に含まれていた。

金陵は、正訥を後継ぎとして擁立することに成功し、藩内での立場が向上した。金陵は、窮乏だった藩の財政改革に取り組み、藩校での文武を奨励して人材育成に取り組んだ。藩主となった本多正訥は、博学で、学問所奉行となる。

金陵の長女・菅子は福井藩主・松平春嶽に仕える。金陵は、藩主同士の情報伝達の役割も果たしていたようだ。春嶽は、維新後、大学別当に。学問所改革案を建議している。

◆金陵は、安井息軒と塩谷宕陰とともに文久の三博士と称され、幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」の儒官として抜擢された。61歳であった。

儒学といっても、幕末動乱の現実への解決策が求められるようになっていた。金陵は、海外事情にも通じ、国防について幕府に意見を述べている。機密扱いだった「蝦夷図」(北海道の地図)の写しが芳野家から発見され、金陵が幕府の重要なポストにいたことが想像できる。

◆水戸の藤田東湖や福井の松平春獄ら多くの有力者と交流している。息子の芳野桜陰は、水戸藩の過激派である天狗党の戦いに加わり、水戸の獄に繋がれている。

◆長州の久坂玄瑞も金陵門下生として学んでいた。維新後、久坂の親友である楫取(かとり)素彦から依頼があった。脱藩などで罪人扱いされたままだった久坂の名誉回復して欲しいというので、金陵は伝記「久坂通武伝」を執筆している(NHK大河ドラマ「花燃ゆ」では大沢たかおが、楫取素彦を演じていましたね)。

◆維新後は、新政府の昌平学校、大学校、大学の教授となる。明治2年に大学が廃校となり、金陵は免官となった。洋学が取り入れられ、漢学が公的機関から消滅した。

金陵像(個人蔵)
柏市HPより

大学退官後は、大塚に隠居して余生を送る。子弟の教育にもあたった。柏からの教え子も取っていることが史料から分かる。大塚では精力的に著述生活を送る。大塚に3万坪を購入し、開墾。明治11(1878)年金陵没、享年77歳。

◆後継ぎである四男・芳野世経つぐつねは、教育者であり、東京市会議員,東京府会議員,同議長となり,東京府教育会長,警視庁防疫評議員などを歴任。私学蓬莱学校を設立した。明治23年第1回衆議院議員選挙によって選ばれた衆議院議員。1901年、高等師範学校(東京教育大、現在の筑波大)の改築のため、自宅の敷地2万2千坪を提供している。昭和2年6月20日死去。79歳。

【史料発見の経緯】
江戸幕府の学問所、昌平学校、大学校、大学と組織が変わり、洋学と漢学が対立し、廃校。幕末から明治期に官学の教官を務めた芳野金陵は、大学廃校後に帰属を失った旧学問所関係の資料を引き継いでいたと推定される。芳野世経つぐつねから土地の寄進を受けた東京教育大・現在の筑波大に保存されているが、芳野家にも伝えられていた。

史料の調査依頼と保存についての相談を受け、柏市教育委員会と大学の研究者とともに調査
  • 住宅開発
  • 史料の調査依頼と保存についての相談を受ける
  • 柏市教育委員会と大学の研究者とともに調査
  • 関係史料が柏市と二松学舎大学に寄贈
  • 公園が設置され、説明文が置かれる

二松学舎大学の九段と柏の両キャンパスでも「芳野金陵と幕末日本の儒学」展が開催された。柏市と二松学舎大学の共催の企画だった。市内に大学があるということは有難いことで、こういった連携は大切にし、もっと地域と大学との協力が深まればと思う。
※柏の儒者•芳野金陵と幕末日本の学問の状況
https://y-yamasita.com/%e6%96%87%e5%8c%96/1132.php

【発見された史料によって明らかになったこと】
昌平坂学問所の儒官が国防について幕府に提言
幕末~明治以降期の官学(大学)の歴史

【網野善彦『古文書返却の旅』と私】

議会内外から、市内の旧家に眠る古文書の保存•収集と活用について提言
これまで伝えられてきた古文書が紛失してしまっている
個人の家に伝わる文書だが、公共性の高いもの
個人任せではなく、資料館などで公的に保存し、未来に伝えていくことが必要

【市内の史料を守り、歴史を発信】
これまで私は議会からも、紛失してしまう可能性のある歴史史料を、後世に伝えられるよう提案してきた。様々な事情で、これまで伝えられてきた古文書が紛失してしまっていることが、全国各地で問題となっている。個人の家に伝わる文書ではあっても、公共性の高いものでもある。個人任せではなく、資料館や図書館、大学などで公的に管理し、公表できるものは公表し、未来に伝えていくことが必要となっている。

芳野金陵先生が幕府に提言した国防関係の史料が発見!

柏市は、千葉県内でも随一の史料を保管しており、その点では誇るべき自治体である。柏市には、歴史がないと言う人もいるが、そんなことはないのだ。

管理している資料整理を進めていくことは課題だ。柏市では、歴史を学ぶ市民の方々と共に、古文書の整理に取り組んできた点が、評価されている。

芳野家で保存されていた金陵先生関連の文書

今回、芳野家から史料が寄贈されたことにより、昌平坂学問所など幕末から明治にかけての教育制度や、幕末の学問の動向が明らかになった。文書が残されるからこそ、歴史が伝えられる。死蔵されることなく、公に保存され、研究者によって活用されてくことになり、次の世代に引き継がれていくことになった。

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投稿者:

山下 洋輔

柏市議会議員。柏まちなかカレッジ学長。元高校教諭。2児の父。 教育学研究や地域活動から、教育は、学校だけの課題ではなく、家庭・地域・社会と学校が支え合うべきものと考え、「教育のまち」を目指し活動。著書『地域の力を引き出す学びの方程式』 (社)305Basketball監事。 千葉県立東葛飾高校卒業。早稲田大学教育学部卒。 早稲田大学大学院教育学研究科修士課程修了後、土浦日大高校にて高校教諭。早稲田大学教育学研究科後期博士課程単位取得後退学。 教育コンサルタント山下洋輔事務所設立。 2011年9月から柏市議会議員。 家族 妻、長男(2014年生まれ)、長女(2017年生まれ)