オリンピック•パラリンピックや甲子園で盛り上がる今こそ、部活動について見直そうと思う。
この本を読みながら、私の持論を修正しなければならないところも出てきた。あらためて、しっかりと提言できるよう準備する。
この本を読むまで、私の考えでは以下のようなものだった。
運動部活動は、学校単位での対外試合の形を見直し、総合型地域スポーツクラブ等生涯学習団体に移行すべき。
一貫した指導が期待でき、卒業後も参加することができ、地域の大人たちとも触れ合うことができ、生涯学習の実現に寄与するものと考える。
教育委員会から、総合型地域スポーツクラブなど生涯学習団体に、学校とのコーディネーターとして派遣する。
コーチや監督といった役割ではなく、学校(特に、担任)との連携や地域や協会との協働もプロデュースするジェネラルマネージャーのような役割を担う。
施設は学校や公共施設も使えるようにし、予算も確保する。
このように考えるようになったのは、部活動の議論が、教員の労働条件の整備について集中し、部活動の目的や教育論が置き去りにされているような危惧を感じたからだ。
人口が減少し、児童生徒の入りたい部活動も多様化し、1つの学校で1つのチームを組めない現状もある。
指導者不在も運が悪かったと諦めざるを得ない現状もある。
部活動は、学校教育活動か?、教員の雑務か?という議論が繰り広げられてきた。
それだけではなく、児童生徒の目線に立った議論が必要である。
すべての子どもたちに、教育機会を保障するためにも、部活動について真剣に考えていきたい。
本書を読み、考えを改めた部分や参考になった部分が沢山あった。
部活動の地域への移行は、勤務手当支給の根拠がなくなり、教員の指導をボランティア活動のようにした歴史があったこと。
スポーツ振興が、欧米が地域のクラブだったのに対し、日本は学校の部活動を通して行われてきたこと。
部活動運営における子どもの自治や子どもの権利という視点。
そして、この部活動を考え、気づいたことは、部活動だけでなく、今の学校や教員のあり方すべてに通じる問題だということ。
教員は、教え導くのではなく、成長できる環境を整え、学びをコーディネートする役割であること。
学校も部活動も、児童生徒の自治を促し、地域の資源を取り込み、大人やホンモノに触れる場であること。
教育行政は、地域の体制を整え、学校•部活動を支えること。同時に、学校•部活動があるからこそ、地域の体制が整い、地域の活気となること。
社会教育か学校教育かという二項対立から脱却し、学校と地域を総合して考えること。
もし、議会の質問で、学校教育か生涯学習の管轄かという議論になったら、教育長と市長に答えてもらいたい。
運動部活動の話だけでなく、文化部でも同じように考える。
地域の交響楽団、ライブハウス、華道など伝統芸能、絵画や造形などアート団体、その他の文化団体の力を、部活動に取り入れていくことが、地域の生涯学習の実現につながる。
ファブラボや科学クラブ、自然観察など、活動場所の確保など積極的に支援していくべきだと思う。