ご報告があります。
本来なら直接お会いしてお話ししなければならないところ、申し訳ありません。柏市長選挙に敗れ、この一年、私自身大いに悩みながらも、ガムシャラに生きてまいりました。ご心配もおかけしましたし、助けられたり、とことん話し合い、自分自身とこの社会を見つめ、考えることもできました。この現実を直視し、一つの決断を致しました。
初めて柏市議選に立候補した時の情熱、
大学院で「教育のまち」構想を描いた時の使命感、
高校教諭の時から抱いた理想の教育と社会への夢、
私自身は何も変わっておりません。執着や見栄、思い込みやこだわりは脇に置き、私の「使命」は何かを考え、決断しました。
ー◆なぜ市長選から県議選へ?
二十代の私は、もともと高校教諭として、いつかは自分の学校で理想の教育を実現させたいという夢を抱いていました。大学院で研究しているうちに、一つの学校としてだけでなく、学校を取り巻く地域社会全体に目を向け、また教育システムにも働きかけなければと、「教育のまち」構想を描くようになりました。
2011年から柏市議会議員として、「教育のまち」という私の構想を実現させるために、この十数年、柏市長という目標を持って生きてきました。
しかし、私の「使命」は、教育により社会をより良くすることであり、必ずしも市長になることだけではないと気づきました。
自分の命を、少しでも世のため人のために活かしたい。市長選挙というタイミングにとらわれず、別の形でもお役に立てる方法はないか。そう考えた結論です。
いま、学校では担任の先生が長期お休みし、代理の先生が補充されず、教頭先生や他の先生が交代で対応されている状況です。教員の未配置の問題です。
一人ひとりの児童生徒に目が行き届かず、教員の働き方にもしわ寄せがきています。
根本的には、柏市でなく、千葉県として考えなければならない問題です。
幼児教育が大切
といいながらも、幼稚園はじめ幼児教育は、市町村では管轄外。千葉県の管轄です。幼児教育こそ政策効果が大きく、力を入れるべき分野です。
高校生の不登校や高校入試についても、
元高校教諭としても働きかけていきたいところです。
とにかく、千葉県議会議員として、柏市のため、千葉県のため、未来のため、全力を注ぎます。「意志あるところに道は開ける」柏市の皆様に、リーダーとして認めてもらえるよう、コツコツと頑張ります。
ー◆なぜ無所属から政党公認候補に?
千葉県議会議員選挙(柏市)•立憲民主党公認候補予定者となりました。これまで無所属で、政党や組織に属さないことを自身の美学としていましたので、私にとって大きな決断でした。柏市内のことは自分の足で歩き、直接、地域の方からお声を聴いてまいりましたが、千葉県は広く、私一人ではまわりきることはできません。他の地域選出の議員と力を合わせていく必要があります。また、前回の市長選に敗北し、この一年間、ずっと考え続けてきました。柏市民の声と私の政策をカタチにするためにも、私一人の力だけでなく、仲間を作っていかなければならないと考えたからです。徳川家康の生き方からも学びました。組織に属しても、自分自身はブレずに、前に進んでいきたいと思います。変わらぬご指導よろしくお願い申し上げます。
ー◆なぜ立憲民主党に?
ー◆この一年の経験
柏市長選挙では、43,834人の方に「山下洋輔」と名前を書いて頂きました。市長でもなく、議員でもない私が、期待して投票して頂いた皆様に、どう応えていくことができるか。ずっと考えていました。このままで終わるわけにはいかない。政治家は、政治の舞台で挑戦をし続けないと生きていけない。選挙は、本人が出たいだけで成り立つものではありません。私自身に意志があり、沢山の方々にお支え頂きてこそ活動できるものです。お声かけして頂けるというのは、本当にありがたいことでした。自分の思い込みだけでなく、柏市全体として考え、決断をしました。市長選挙が終わり、本当に多くの方に助けられました。そのおかげで生き延びることができました。本当に感謝してもしきれません。44歳にして、初めて会社員にもなりました。毎日が新しい挑戦でした。これまで出会うことのなかった仲間たちにも恵まれました。この経験は、私を成長させ、可能性を切り拓いてくれました。
2021年の市長選挙とその後の一年間は、私にとって大きな財産だったと、いつか人生を振り返った時に思うはずです。この長い投稿を、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。諸葛亮孔明が主君に奉った「出師表」のように、私から市民の皆様にお送りする文章となるよう目指しましたが、まとまらず申し訳ありませんでした。ここから突っ走ってまいります。今後とも、変わらぬご指導よろしくお願い申し上げます。