以下、『BE-COM 11月号 vol.205』(2009.11.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用
生きる力を支援する傾聴ボランティア
世の中が便利になった反面、生活が忙しくなった。携帯電話やメールでコミュニケーションを取りやすくなったが、一方的に伝えることも多くなった。価値観が多様化し、言葉の行き違いで誤解を生む可能性も高まっている。このような社会において、話を聴くことのできる人が求められている。オバマ大統領が、対話の姿勢を強調するのも時代の流れを反映している。学校の教育現場でも、指示から対話へと教え方のスタイルが変化しつつある。答えを教えるのではなく、生徒の中にある答えを引き出すのである。
人に悩みを聴いてもらうことで、気持ちがすっきりするものである。相談を受けたときは、解決法を示すよりも、話を聴くことに徹するのが良い。なぜなら、当事者である本人が一番事情をわかっているわけであり、自分で出した答えが一番納得のいくものだからである。話しながら、考えや気持ちが整理されていく。私たちは、二つの耳と一つの口を持っている。話すことよりも、聴くことのほうが大切だからだ、とソクラテスは指摘している。コミュニケーションで大切なことは、聴くことなのだ。
高齢者の方が「死にたい」と口にしたり、子どもが悪さをしたりするのは、自分に関心を払ってもらいたいからである。相手のことを大切に思っていると示すには、まず聴くことである。自分の苦労、不満、怒り、悲しみなどに対して、「大変だったんだね」という一言があると、わかってもらえたと満足できる。真剣に自分の話を聴いてもらえると、人から認められていると感じることができるのだ。この実感は、自己肯定につながり、生きる力を育む。
話を聴くということは、心の支援でもあるのだ。ここで、話を聴くことを通して、一人ひとりの心に寄り添うボランティア活動を紹介したい。「対話と傾聴の会かしわ」は、元気な高齢者がカウンセリングの基本を学び、悩みをもつ高齢者などの話を聴くという傾聴ボランティアを行っている。金銭的な援助や介護などを手伝うというものではない。デイサービス、有料老人ホーム、グループホームなどの施設や個人宅を定期的に訪問し、話を聴く。
ただ話を聴くだけ。しかし、これが難しく、奥が深い。まず、否定せずに受け止めること。聴く側がペラペラしゃべらないこと。聴いていることを相手がわかるように、相槌を打ったり、うなずきながら聴くこと。相手が沈黙したときには、苦し紛れに質問したり、話題を転換したりすることなく、じっとそばに寄り添い、相手が話してくれるのを待つこと。このような聴く技術を磨くことも会の活動である。
実際に、老人ホームでの傾聴ボランティア活動を見学した。同じ話の繰り返しや、脈絡のない話などに対しても、真摯に耳を傾ける。日常のコミュニケーション以上に、聴く技術が重要となる。うまく聴いてもらえるので、いい気分で話すことができる。話している方の表情が、生き生きとしてくるのがわかる。とりとめのない話だが、人生の重みや深さを感じる場面もあった。1時間半ほどの傾聴を終えると、話し手である高齢者の方は喜んでくださった。
「元気な高齢者の方とお話すると、自分も元気が出てくる」とボランティアの方はおっしゃった。支援する側ではあるが、ご自身の得るところも大きいという。その方は、勤めていた会社を定年退職し、地域で活動を始めた。六十代でも町内会など地域の活動では、まだまだ若手で、働き盛りある。そんな方の活躍の場としての役割も、傾聴ボランティアの活動は果たしていることを知った。
資本主義社会はお金のやり取りで成り立っている。労働はお金と交換される。しかし、働くこと自体を楽しみ、生きがい・応援・理解・感謝といった形の報酬を得るという点も見落とすことはできない。小さい頃、肩たたき券を母にプレゼントしたことを思い出す。肩たたき自体というよりは、感謝を示そうとする私の気持ちが嬉しかったのだろう。肩たたきをしている自分も楽しかったのを覚えている。
話を聴くことは、お金のかかることではない。高齢者の心の支援のため、そして私たちの生きがいのためにも、傾聴ボランティアの制度が整備されることを期待したい。
(山下 洋輔)