昨夜は、柏まちなかカレッジの魁!!!歴史塾に、油原祐貴さんをお招きし、「平将門と手賀沼周辺の歴史」について語っていただきました。
柏市(旧•沼南町、手賀沼周辺)には、平将門にまつわる伝説が多く残っています。
油原さんは、福満寺(柏市大井)のご住職、伊原慧純氏のお話をお聞きし、その話に出てきた場所を歩いてきた報告でした。
「将門の築こうとした王城は、旧•沼南町だった!?」
車の前、若松、苧麻などの字名から歴史のヒントを見出すことができるので、区画整理で地名を変えてしまうことを危惧しています。
福満寺のご住職が中学生の頃に、檀家さんから聞いたお話がきっかけで、将門研究と普及を続けています。
※歴史の看板を立てることについて、大げさに言えば中国や韓国との歴史認識問題や教科書裁判のような問題と同じだと思いました。
そんな郷土史家のお話を語り継ぐ油原さんの取り組みは、貴重だと思います。
塾生の前田 徳弘さんから、将門にまつわる通説と日本史研究の概論についてもお話いただき、そこから皆さんの考えや思いを聞くこともできました。
「なぜ、将門はヒーロー視されるのか?」
•唐が滅亡し、アジア諸国の歴史や文化に変化してきたこと。
•中央集権から地方に権限が移譲され、国司をめぐる争いが増えてきたこと。
•中央vs地方の構図で、将門を地方の代弁者のような思いがあるのではないか。
•将門の中央への反逆は2年くらいで、民衆への被害は少なかったこと(平忠常の乱の場合は長引き、関係する地域は疲弊し、荒廃した)
•将門の父は貴種として、茨城県西、県南、東葛あたりに子どもを残した。
•鎌倉幕府の創設した平良文の子孫たちは、将門への思い入れが強く、将門伝説を支えている。妙見信仰や千葉氏の伝説と将門伝説が混同されている。
•一方で、将門を討伐した平貞盛の子孫には、平清盛を生む伊勢平氏であり、頼朝の反乱は、当時の構図と重なる。
先月の 岩田 純香さんにお話しいただいた「利休」について、前田さんは的確なコメントができなかったということで、この一か月、利休の本を読まれ、その報告をしてくれました。
そして、最近の将門研究もチェックして参加してくれました。
前田さんの歴史塾にのぞむ姿勢に頭が下がります。
将門神社の保存状態についての意見も出ました。
私自身、誰よりも心配し、試行錯誤しながら苦闘してきました。
すぐにでも何とかしたい気持ちですが、こうした広く歴史を学ぶことや情報発信などを通して、市民の理解や研究成果が必要だと、全国の事例が教えてくれます。
氏子中の話し合いで認められるなら、寄進を募る活動を行政でも支援できればと思います。
ふるさと納税やクラウドファンディングの仕組みがあるので、活用できるはずです。
かつての重源や行基などなような勧進職、寄付集めのリーダーが認められれば、いろんな方法はあります。チャリティコンサートなど勧進興行など、ぜひ開いてほしいです。
肝心なのは、資金や方法ではなく、合意形成だと感じるところです。
柏に住む私たちにとって、将門は興味深いテーマですが、何より油原祐貴さんの魅力で大いに盛り上がった魁!!!歴史塾でした。