言葉を発信できるのは、インプットがあるからこそ。
英語で、日本語のように発言できずにもどかしく思うことがあるが、当然の結果と受け止めている。
英語での読書量が少ない。
国際的な流れや視点を押さえる上でも、海外の信用できるメディアや論文を読み続けることにしたい。
「リハビリとして、洋書を読み通そうとしている」と言いかけたが、それでは昔は沢山読んでいたみたいで恥ずかしい。
「一から出直して、洋書に挑戦したい」と言い直す。
これからは、毎日、英語の勉強1時間(読書30分、ニュースのリスニング15分、語彙15分)を確保する。
毎朝、新聞を読むように、寝る前に歯を磨くように、習慣としたい。
AIも発達し、通訳機械が発明されるので、語学は勉強しなくても、何とかなるという話を耳にしたことがある。
ドラえもんの「ほんやくこんにゃく」のようなものだろうか。
私が大学に入学したのは、ネットが普及し始めた頃だった。
「これからは音声入力となり、さらには、頭の中から直接、アウトプットできるようになるので、ブラインドタッチの練習は意味がない」という教授の言葉を信じ、私はブラインドタッチできないまま今に至っている。
音声入力が使えるまで20年くらいらかかった。
これからの大学生に伝えたい。
インターネットなど技術の進歩によって、様々な学習が意味をなさなくなるかもしれない。
しかし、すぐに変化が起きるわけではないので、学習は続けたほうがいいと思う。
特に、語学。
たとえ言語の異なる人たちともコミュニケーションができる技術が生まれても、その背景となる文化を知る上でも、語学は続けるべき。