常総歴史研究会で、新井孝重先生をお招きし、「中世東国武士の信仰と厭戦意識ー高麗行高の人生から見えるものー」をお聴きできました。
学生時代に、学会の先生方と秩父の高麗を巡検した時のことを思い出しながらお聴きしました。
南北朝時代、戦を堅く禁じた高麗行高の遺言を紹介されました。
実際に戦争を逃れることは多く見られることですが、厭戦意識を思想にまで高め、このように遺言に残すという事例は珍しいもの。この遺言以降、高麗氏は武装しながらも、合戦に出ることはなかったそうです。
観応の擾乱、貨幣経済の浸透とルール無用の戦、略奪、兵器改良と死傷者の増加、生活破綻や所領崩壊、時衆の活動から、その背景を考察されました。
学生時代から『悪党の世紀』や『護良親王』など新井孝重先生のご著書を拝読してきました。
戦争の記録をみる時、戦局の推移に関心がいきがちですが、どれだけ個人の生命と生活を脅かしたのかにも想像を働かせるべきと述べられています。
菱田春草の作品「寡婦と孤児」にも触れられています。
国家のイデオロギーとしてみるか、生身の人間としてみるのか。今日、特に、その視点が問われています。
日頃の議会活動でも、意識していきたい視点です。
一つひとつの文章の背後に、受け継いできた学問の伝統があり、調査や研究にまつわるドラマがあり、そして熱い想いがあると感じます。
歴史学には、価値基準を示す力があります。過去の反省と未来への責任を背負った学問だと、あらためて認識しました。
現物ではありませんが、史料を読み、話をお聴きする時間を得ました。本当に久々です。定期的に触れていないと、読めなくなってしまうと痛感しました。