豊四季開墾の歴史を研究されている「豊四季むらを知る会」の皆さんと記念碑や説明板設置のために私も一緒に活動しました。
先日、ついに豊四季第一緑地に説明板が設置され、あらためて豊四季開墾の歴史を、これからも伝えていこうという思いを強めました。
相馬御厨ー小金牧ー豊四季開墾ー軍都ー郊外都市という歴史は、戦後の柏市の目覚ましい発展を考える上で重要な条件であり、柏の歴史の柱と言えます。
柏駅はじめ、戦後になって柏の葉や豊四季団地、日立台、麗澤大学、気象台学校など、柏の発展の土台となっています。
豊四季開墾の歴史は、柏にとってアイデンティティに関わるものであり、しっかりと研究し、記念碑や地域の歴史教材として伝えていくことも必要と議会でもうったえてきました。
この説明板が設置された豊四季第一緑地は、明治2年に江戸から水戸街道を徒歩で199名が到着したという最初の記念すべき地です。このような入墾の記録は他の開墾地では残されておらず、貴重です。こうして公園に設置されたこと、後世に伝えていく上で、意義あるものです。
他にも、柏競馬場跡、柏競馬場前停車場である旧北柏駅跡、柏駅西口付近にあった牧士たちの乗馬の練習場である乗馬ケ谷など、これら豊四季開墾に関わる史跡についても、何か残していきたいと考えています。
「150年前くらいなら、まちを歩けば何か痕跡が残っているはずと思い、研究を始めた」と豊四季むらを知る会の末武氏はお話しされました。
幕府の牧だった時代、この地域に人は住んでいなかったので、現在の住民は、ほとんどが外部から移ってきた人です。
そんなメンバーたちが集まって、地域のことを知りたいと研究を続けてこられたことも素晴らしいことだと思います。
大学や学会での研究と違い、地域に暮らしているからこそできる研究や活動です。
設置を喜ぶ集まりでは、当時の大八車を引いて来られました。
これで、柏から千住や神田まで芋を売りに行ったそうです。