皆さんお久しぶりです。宮島凱生です。大学も終わり春休みに入り、今まで以上にインターン活動に邁進していこうと思っている所存です。
今回は2021年2月13日に開催された「くまがい俊人さんと千葉の未来を語る会」に行ってきたのでそれについて書こうと思います。
今回の講演会は第一部と第二部に分かれており、第一部では講演会を、第二部では近隣の市議会議員の方々との意見交換会が行われました。
幸運なことに第二部の席にも参加させていただけましたのでなかなか目にすることのできない議員同士の話というものについても書いていければと思います。
第一部では熊谷さんの政策についての話がありました。
熊谷さんは千葉県知事選にむけて11のビジョンを掲げており、その中のいくつかについてお話されていましたが、くり返し語っていたのは現場主義と人事についてでした。
千葉市長として現場に足を運び、現場の実態と政策の整合性を一致させること、そして現在の県庁の人事の引き締めと刷新、そして職員数の増強を熱弁されていました。
さて、この職員の人事、増強についていくつか思ったことを書いていこうと思います。熊谷さんが主張する職員に課題を与え、適切な評価をすることでチャレンジ精神を植え付けるというビジョン。これは熊谷さんの著作である『公務員ってなんだ? 最年少市長が見た地方行政の真実 』(ワニブックスPLUS新書、2013)でも同じように書いていらっしゃいました。いわば人的資本の質的増強です。
さらに熊谷さんは児童養護施設など、職員数が足りていない部署への職員数の増強についても「スピード感をもって」行うと明言しておられました。これは人的資本の数的増強です。私はこの質的増強と数的増強の両立が非常に難しい問題だと思っています。
歴史的に見て、この人的資本の質的増強と量的増強に悩まされた事例はいくつも存在しています。
例えば中世世界に覇を唱えたモンゴル帝国では、急速に勢力を拡大できる程度には人材の質が高かったものの、その急速な勢力拡大にって地方を統制する役人の数が圧倒的に不足し、地方には地方の王国を建て、税収を収めさせるようにすることで対応しました。その結果中央集権に失敗し、衰退に繋がります。
質と量の話でいちばん有名なのは第二次世界大戦のドイツとソ連の構図だと思います。
1941年、ドイツはソ連に400万人の兵力で侵攻を開始。快進撃を続けます。相対するソ連は兵数268万人。さらには1936年以降モスクワ裁判で軍の中核をなす高級将校の65%が粛清されており、質でも量でも圧倒的にドイツに差をつけられていました。質、量ともに上回るドイツ軍はモスクワの手前まで快進撃を続けますが、1942年に入ると動員を完了したソ連軍が530万人に増強され、ソ連は量の面でドイツを上回ります。また、制度改革等も行い始め、44年には質的、量的の両面でドイツを圧倒することになります。
近年の日本では、例えば某有名ステーキチェーン店において店舗数を1年に200店舗拡大したところ、店長クラスの人材を質的に確保できずに事業が失速した事例もありました。
このような歴史的事例からわかることは、質的、量的な充足が組織にとっては必要不可欠であり、かつ量を急速に拡大しても質の増強は中長期的な目線で行わなければならないということです。
今の日本は戦国の世ではありませんし、よその県から優秀な職員をスカウトすることもできません。熊谷さんがこの質的増強と量的増強をどう両立させていくのかに注目できるのではないかと思います。
さて、第一部では一般的な講演会と同じようなものだなぁという感想だったのですが、問題は第二部です。
柏市と近隣の市議会議員の方々と熊谷さんが控室に集まって意見交換をする場、そこに私服姿の大学生がひとり放り込まれたので正直場違い感が否めませんでした。しかし非常に貴重な経験となったのでそれについても書いていきます。
第二部では、話題は熊谷さんの県政ビジョンへの質問と意見具申、そして選挙戦略が話題の中心でした。話はより実務的、現実的なものだったように感じます。
それは県がどこまで介入していくかということです。例えば、千葉市は令和3年1月から不妊治療助成事業で所得制限を撤廃しました。しかし、柏市を含む多くの市町村では助成対象は所得が730万円未満の女性に限るという条項が未だに存在しています。これは同じ県に住むのにも関わらず住む市町村によって受けられる公的サービスが変化するということになります。このような公的サービスの均一化に県がどこまで介入できるのか、国との距離のとり方などについての議論がかわされました。
普段我々が思う政策議論とは、「市町村、都道府県、国になにをしてもらいたいか」ということのみです。「市町村、都道府県、国になにができるか、そしてなにができないか」という視点での話は非常に新鮮でした。
政治の講演会というと、「堅苦しい」、「難しそう」、「特に考えもないのに行く意味があるとは思えない」というイメージを持つと思います。しかし、実際に自分の耳で聞き、自分で考える機会を作るという意味では非常に有意義な場であったと思います。
普段「ここの政党の主張はよくわからないなぁ…」と思った時、実際に自分の耳で聞いてみるというのも1つの選択肢になるなと思った体験でした。
(文責・宮島凱生)