以下、『BE-COM 8月号 vol.214』 (2010.8.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用
まちの発展と郷愁-マカオの光と影
今年の2月に中国のマカオを視察した。私は、イエズス会宣教師の書簡を史料に歴史研究をしていた。だから、マカオは、一度は訪ねてみたい場所であった。ちょうど、マカオの友人が大学を卒業し、ロンドンへ留学するというので、思い切って訪問したのだった。
マカオと言えば、カジノ。日本でも、特区を設けて、カジノのまちがあったら面白いのではないか。そんな興味を持ち、現地の方々からお話を伺ってきた。
「まちが寂れると、物理的に困る。でも、まちが栄えたからといって、住んでいる者は喜べないよ。昔のまちが良かったなぁ」。こんな声をマカオで、よく耳にした。この話を帰ってきてからも考え続けていた。
【カジノでうるおう都市】マカオの人口は約55万人。広さは30平方km弱(埋め立てによって増えた)。資源もない小さな島だが、一人当たりのGDPは日本と同等。税収の約7割はカジノである。学校教育の授業料は15年間無償。高校生以下、65歳以上、妊娠出産の人は医療費無料。医療保険はないが、年末に一律にお金が給付される。カジノのお陰で、社会福祉も充実した。
飛行場に迎えに来た現地のガイドは、マカオの可能性を熱く語った。巨大なカジノやホテルがそびえ、その中では多くの人間が働いている。まちには、旅行客を相手に店が並ぶ。カジノを中心に、雇用が創出され、経済が発展していく有様を目の当たりにした。
【住民の嘆き】一方で、変わりゆくまちへの寂しさや経済発展へ疑問を投げかける声を聞いた。海の景色や古い町並みが消え、若者の生活は乱れてしまった、と私の友人は嘆く。夜遅くまでパーティーが開かれ、家族との食事が減った若者も多いという。「つい10年ほど前には海はあそこまであったの」。近くの砲台から、昔の景色を説明してもらった。祖父の家が近くにあり、よく遊んだ場所。小さな商店があり、小さい妹がよく手伝いをしていたこと。小さい頃、父と人力車に乗せてもらったこと。いつも家族でアンドリューおじさんのエッグタルトを買い、砂浜で食べたこと。家族や友人との思い出が、場所と密接に関わっている。
【歴史を資源に】
今、失われつつある景色と、それに結びつく思い出を大切にしようとする機運を感じた。博物館ではマカオの庶民の暮らしについての企画展が開催され、マカオの今昔を伝える写真集シリーズが出版されている。マカオ政府も、カジノのイメージだけではなく、歴史と文化遺産のまちであることをPRしようとしていると友人は語っていた。2007年に、建造物や広場が世界遺産に登録された。私の友人は、マカオの文化を世界に発信する仕事に就きたいと、現在、勉学に励んでいる。政府も、住民も、心を合わせて取り組んでいるのが伝わってきた。
まちなみが消えていくことは、住んでいる人たちの記憶も消えていくことになる。個人的な記憶は、家族・親戚や近所の人、友達、仕事仲間、地域の共同体とともに積み重ねた社会的な記憶でもある。そんな住んでいる人の思い出・記憶を大切にしていこうという段階に、マカオはある。
【成熟したまちへ】
日本でも、住んでいる人々の記憶を資源としたまちづくり実践が報告されている。これからは、目に見えない豊かさも考慮されると実感することになった。
経済的に裕福になって、失われるものもある。しかし、生きていくためには、その代償を払わなければならない時もある。ただ、その失ったものを補っていくのが、今日の成熟したまちではないか。
失われたものとして、風景や人々の思い出があげられる。『ALWAYS 三丁目の夕日』など、昭和の時代を愛おしく振り返るのも、社会が成熟してきた証なのかもしれない。今、私は、生活している方々の記憶を資源として、アーカイーブ化し、教育やまちづくりに活かすための「おばあちゃんの知恵袋」プロジェクトという取り組みを始めている。柏で暮らしてきた人々の思い出や記憶を収集し、発展の過程で忘れられてしまったものに光を当てたい。そんな思いから、活動している。
語りたい高齢者も、話を聴きたい若者も、私の想像以上に多かった。話を聴いてもらうことで高齢者は、自分の存在を認めてもらえたと充足する。一方、若者は、リアルな経験談から、今の自分に安心し、将来への糧とする。心温かい輪が、広がっていることを実感している。