柏市大井の福満寺ご住職・伊原慧純氏をお訪ねいたしました。
この大井は、『将門記』に、「相馬郡大井郷」記載され、平将門の伝説が残るロマンあふれる地です。
伊原住職は、地元の大井地区(大井郷)の歴史に心を寄せ、研究されてきました。その貴重なお話を、もらさないよう一生懸命に記録してまいりました。
奈良の正倉院の宝物に、大井の名前を確認することができます。
奈良正倉院の宝物からも、大井郷の名を確認することができます。
「天平17年(745)に相馬郡大井郷の矢作部麻呂が麻布一反を納めた」と布袋に墨書きがあり、この頃の大井郷には矢作部(やはぎべ)を姓とする人々が住んでいました。
※第八回 かしわ・その時「天慶3年2月14日、東国の風雲児 平将門死す~柏に生きる将門伝説を追って~」
大井東山遺跡からは、「新生寺」と墨で書かれた土器と布目瓦が出土しています。まだ文字が珍しい時代です。この地に、寺院があったことが分かります。
さらに、同遺跡から、奈良三彩釉陶器小壺も出土しています。こちらは、大変貴重なもので、身分の高い人間しか持つことができなかったものです。
大井東山遺跡からは多くの住居址や寺跡が確認され、特異な遺物としては奈良三彩釉陶器(ならさんさいゆうとうき)の小壷も出土しています。三彩陶器は、奈良平城京や国府などの役所跡や寺院跡から発見されることが多く、庶民の生活用具ではありません。
※第八回 かしわ・その時「天慶3年2月14日、東国の風雲児 平将門死す~柏に生きる将門伝説を追って~」
苧(からむし)という地名からは麻布を作っていたことや、
カナクソという地名からは金属に関係する営みがあったことが予想されます。
実際、大井の畑では金糞や土器が出土しています。金山や藤ヶ谷には製鉄所遺跡がありますが、こちらでは鍛冶等が行われていたのではないかというお話をお聞きしました。
『将門記』では、将門が「下総国の亭南(ていなん)」に「王城」を建設したこと、大井津を京の大津になぞらえられたことが記載されていますが、この大井津は市内の大井ではないか、と考えられています。
※第八回 かしわ・その時「天慶3年2月14日、東国の風雲児 平将門死す~柏に生きる将門伝説を追って~」
茨城県岩井市で「将門まつり」が開催されていますが、平将門の本拠地だったという確証は得られていません。
一方で、柏市域は古代から大部分が相馬郡に属し、中世には相馬氏が支配した地でもありますので、大井の車の前の五輪の塔はじめ、旧沼南町の布瀬(ふぜ)・岩井・藤ヶ谷・大井のほか、布施(ふせ)・花野井・松ヶ崎など市内各所に将門伝説が数多く残っています。
※第八回 かしわ・その時「天慶3年2月14日、東国の風雲児 平将門死す~柏に生きる将門伝説を追って~」
こちらも、平将門の本拠地だったという確証は得られていませんが、千葉日報でも詳細なレポートが連載されました。これからの研究に期待したいところです。
「将門まつり」を手賀沼で開催したいというご住職の夢を語っていただき、私も心躍りました。
柏では、成田山におまいりに行かないという他、
キュウリ、桔梗、矢、風車、白いお餅などタブーがあります。
そして、将門伝説を語ろうとしない雰囲気など、まだまだ分からないことは多いです。
これから、私も調査・研究してまいります。
教永山積善院 福満寺
大井1708番地
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/7545