以下、『BE-COM 9月号 vol.215』 (2010.9.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用
【シベリアに抑留された祖父】
大阪の祖父の家で荷作りをしていた時のことである。翌日から、一緒に東京を観光する。祖母は、最後まで服装を迷っていた。それを見た祖父は、何気なく樺太での経験を私に聞かせてくれた。
「ありったけの荷物を持っていこうとした人は、途中で落伍しよった。重い思いして運んでも、港に着いたらロシア兵に全部没収や」。祖父は、「終戦時」、樺太にいた。「終戦時」と括弧をつけたのは、樺太では8/15以降も戦争が続いていたと聞いたからだ。樺太から船に乗せられた時は、みな本土に帰るものと思っている。本土は空襲で焼け野原。だから持てるだけの物資を背負って行くようにロシア兵から教わったという。その時は何も知らないから、みんな目いっぱい荷作りをした。結果は、捨てるか、死ぬか、ロシア兵にとられるか。ロシアも物資がなかったのだ。港には軍刀が山ほど積まれていたそうだ。「チャシイエイシチ(時計をもっているか?)」というロシア語らしい。船を降りると、何人ものロシア兵にたずねられたという。時計はかさばらずに、高価なもの。ロシアでは、珍しいものだったらしい。
約3年間、祖父はシベリアに抑留された。シベリア抑留については、体験談を聞いたり、読んだりした。それらと違って、祖父が私に語る体験は、前向きだ。英語がわかったおかげで将校の会話を推測できたとか、通訳してあげたら重宝がられたなど。そのような体験から、勉強はしておいたほうがいいと私は育てられてきた。熊にあったときの対処法やルバシカという防寒具を使った火のおこし方など、興味深く語ってくれたこともある。冬に祖父の体調を気遣う私には、「シベリアと比べたら余裕や」と答える。
【実態の把握は緊急課題】
2010年6月に、旧ソ連、シベリアやモンゴルで強制労働させられた元抑留者に対し一時金として支給する『戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法』(シベリア特措法)が可決され、公布・施行された。厚生労働省によると、シベリアやモンゴルなどへ約58万人が抑留され、うち約47万人が帰還したとされる。しかし、抑留の実態には、なお不明な部分が多い。抑留場所も、中央アジアなどシベリアだけではなかった。当事者が高齢となり、聞き取りなどの調査は緊急の課題である。このまま歴史の闇へと葬り去ってはならない。同法は総合的な実態調査を行うための基本方針作成を政府に義務づけた。
【お聴きした戦争の記憶】
政府の対応を待つばかりでは、手遅れになる可能性もある。個人でも、何か出来ることがあるのではないか。私は、仲間とともに高齢者の方々からお話を聴かせて頂くプロジェクトを細々と行っている。「人生で一番印象に残っている出来事について」お話を頂く。仕事や家族の話題もあるが、自然と戦争についての話題になることが多い。
先日は、長崎で原爆に被爆された方のお話をお聴きした。被爆者ということで結婚や就職で不利になった。父親がいない子どもは、社会に冷たく扱われた。被爆したことを隠して、申請しなかった人は、補償をもらうことができていない。現在も生きている人々にとっては、後遺症だけでなく、社会的な差別にも苦しんでいたことを知った。
戦争中に大学生だった方のお話もお聴きした。東京の校舎が焼け、先生も学生もおらず、大学生活を送ることができなかった。勤労奉仕として栃木県の大谷に行くことにはなっているが、行くすべもなく、家で無為の生活を送る。志願もしたが、目が悪く断られた。とにかく、おなかがすいていた。力がなくなり、何もやる気もなくなった。柏市豊四季付近で、飛行機に襲われたりもした。3月10日の東京空襲で空が明るくなるのを見、現在の旧水戸街道を東京から茨城方面に歩いて行く人々を見る。何もしてあげられなかった。
【世代間のギャップを超えて】
正直なところ、戦争体験を聴くには勇気が必要であった。祖父が語る前向きな体験の裏には、いろいろな思いがあるに違いない。しかし、シベリア特措法の手続きをきっかけに、思い切って話を聴いた。すると、祖父のほうでも語らなければいけないという思いを持っていることがわかった。他の話し手の方も、若い人は戦争の話は聴きたくないと思い、話すことを遠慮していたとお聴きする。
もう二度と繰り返されることのない過去を人間が心で覚えておき、思い出すことでよみがえる。私のカポエィラの先生は、死者や過去に対する考えとして、個人の記憶と愛情を強調した。私が思い出すことにより、死者は死んだ存在ではなくなり、過去の出来事は現在の記憶となる。そのためには、死者や過去に対して、今の私たちが愛情を持って接することが重要なのだ。
経験や考え方が違うので、世代間のギャップはある。世代を超えた交流の場も簡単ではない。しかし、必要性に気づいた人が、勇気をもって、そして愛情をもって近づけば、道は開ける。そう信じて、お話を聴く活動を続けていきたい。