先日、柏稲門会で増尾を散策しました。最後に訪ねたのが、少林寺でした。
少林寺といっても、拳法ではありません。柏市にある唯一の臨済宗のお寺です。
ご住職の栗原さんから、お話をお聞きすることができました。
増尾山少林寺の開山は、永禄元年 (1558年)正月。約460年前です。
柏市は、相馬御厨(みくりや)という伊勢神宮を領主とする荘園の一部です。この地域を支配していたのが、相馬氏です。平将門の子孫であると伝えられています。少林寺は、この相馬氏の歴史と重なります。
本堂内正面に「増尾山」と書かれた山号額が掲げられています。幕末・明治維新に活躍した山岡鉄舟の筆によるものです。私は、山岡鉄舟も稽古・参禅したとう高歩院で、直心陰流剣道の稽古をしていたので、うれしい出会いでした。
少林寺の入り口近くには、江口章子の歌碑が建てられています。
ちょうど11月15日の『広報かしわ』で取り上げられていました。
「青鞜社(せいとうしゃ)の平塚雷鳥を頼って上京。友人の紹介で北原白秋と結婚するも4年で離婚。その後、増尾出身の禅僧中村戒仙(かいせん)と再婚し増尾に居住。」
「手賀沼の水のほとりをさまよいつ芦刈る音をわがものとせし」
早川義孝先生の絵も、たくさん飾られています。
少林寺のHPに、その歴史が載せられていますので、ご紹介します。
「南北朝の内乱で北朝側に属した相馬重胤公は建武3年 (1336年)、片瀬川の戦いで敗れ、 同年4月、鎌倉法華堂で自害しました。 出陣するさい重胤公は、母からゆずりうけた小さな観音像を御守としていつも兜の中に大事に納めていたと言われています。 重胤公の家来は、激しい戦いの中、この観音像だけを奥州相馬家へと持ち帰りました。
重胤公の子孫にあたる相馬慶胤 (嗣嶽慶胤禅師)が、相馬重胤公とその家来たちの供養と慰霊のために、 奥州相馬家より重胤公の兜の中に納められていた小さな観音像を増尾に請来し、増尾山少林寺が開山されました。
しかし嗣嶽慶胤和尚は開山を名乗らず、馬橋万満寺2世雪傅宗屋和尚を少林寺開山に迎え、自らは少林寺第2世として名を残しています。 雪傅宗屋和尚はその後、茨城県土浦市法雲寺の第22世となります。」