幸谷城館跡地(きつね山)の土地を、柏市が買い、市民のいこいの広場として、歴史や自然を保存していくことが、2017年9月の議会で可決されました。
(仮称)幸谷城館跡歴史公園用地として整備される予定です。
歴史公園といって、もともと天守閣のなかった城跡に天守閣を再現?したり、遺跡のあとかたもなく公園や資料館が建設されたり、戦国時代にだけ着目して古代から続いた古墳や江戸以降の里山文化などが軽視される事例もあります。
そうなっては困ると、委員会で質問しましたが、面白い答えが返ってきました。AR(拡張現実)という技術を活用し、デジタル情報を重ね合わせて、森を歩きながら当時の状況を楽しめるようなアイデアも考えているとのことでした。
早期の実現を期待しています。
すでにカシワニワ制度などを活用しながら、地域の憩いの場となっているようです。また、画家・高島野十郎最後のアトリエがあった場所でもあります。
この幸谷城跡については柏市で保全されることになりましたが、貴重な地域資源でもあった中原防災公園の隣接林や今谷南子供の遊び場が、相続で民間にわたり、開発されることになり、議会でも議論されてきました。
今、柏市が市民から貸借している公園は約30箇所。
地権者の相続により、市に貸すことができなくなり、交渉も行われたが、平行線をたどり、存続は難しいという話はこれからも出てくると予想されます。柏市の買取りガイドラインや協定などの提案も、柏市議会の建設経済員会から出されてきました。
公園の適正配置とカシニワ制度など空き地活用についての議論も必要となってきます。
先日、この幸谷城館跡を見学しました。
取得出来なかった土地の発掘調査が行われており、そこで通説を覆す発見がありそうです。
幸谷城館跡は、大津川の支流にはさまれた台地上に築かれています。
城館跡は「城山」や「きつね山」と呼ばれています。
本城館跡の北方約600m、谷戸を挟んだ反対側の大地に増尾城跡があります。
また北東約400m、増尾字本郷には、武家屋敷跡の伝承を持つ旧少林寺境内地や妙見社跡地があります。
幸谷城館は、相馬氏が相馬郡に本拠を移す時まで居住していた城館跡ではないかと推測されます。この考えも、まだはっきりとは分かりません。文明17(1485)年8月に、この地域で戦闘が行われたことが小金の本土寺過去帳に記されているが、この幸谷城であったと考えられています。
今、発掘調査が行われていますが、これまでの見解とは異なる証拠がでてくるかもしれません。
戦国時代頃、城主はこの幸谷城から増尾城に移ったと、考えられていました。しかし、今回の発掘調査により、堀が確認され、戦国時代のものではないかと調査中とのことです。戦国時代のものと確認された場合、この幸谷城と増尾城は併存していたということになります。