皆さんこんにちは。宮島凱生です。3月にやってくる春期講習バイト大攻勢の影に怯えながらも日々労働に励んでいます。
さて、前回はポピュリズムの話をしました。
ポピュリズムは言わば「大きな政府」の代表格と言える思想です。大多数の意見を反映した政府によって経済や生活を保護する傾向にあります。
そこで今回はほぼ対局の思想と言えるリバタリアニズムについて見てみましょう。
ポピュリズムが大きな政府だとすればリバタリアニズムは小さな政府の代表格です。日本ではあまり聞き馴染みのないリバタリアニズム。一体どのような思想なのでしょうか。
今回ご紹介する話は以下の本を参考にしています。気になった方は是非ご一読ください。渡辺靖『リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義』中公新書、2019
突然ですが皆さん、
「税金っていらなくないですか?
せっかく自分で稼いだお金を社会サービスに回すだけならまだしも、弱者救済や他国への援助のために使うのって意味わからないですよね。
政府の力は最小限に制限して経済は合理的な市場に任せる!
これが真の自由主義だ!!」
・・・これがざっくりと乱暴にまとめたリバタリアニズムです。
リバタリアニズムは現在アメリカの若年層を中心に爆発的な支持を得始めています。その理由に中央政府への不信感の高まりが挙げられますが、もともとリバタリアニズムという思想はアメリカと強い関わりがあるのです。
○リバタリアニズムの広がり
リバタリアニズムの源流はヨーロッパにあります。『統治二論』などで著名なジョン・ロックや『国富論』のアダム・スミス、近代では『隷属への道』のフリードリヒ・ハイエクなどが代表的な自由思想家とされます。リバタリアニズムが発展したのはアメリカでした。
アイン・ランドという作家をご存知でしょうか?
『水源』や『肩をすくめるアトラス』で一斉を風靡した1940年代のアメリカを代表する作家です。彼女はその作中で徹底して「市民の代弁者たる政府」を批判しました。
通常、私達は「市民のために」という視点で物事を語ります。ポピュリズムはその最たる例ですね。しかしランドはアメリカの実業家や科学者、芸術家の優れた才能や努力が寄生的な「市民」のせいで蝕まれていると批判します。
このような個人主義・合理主義・資本主義を融合した「オブジェクティズム(客観主義)」の思想が「独断独行」を重んじるアメリカ国内で大いに共感を得ることになります。アメリカにおけるリバタリアン運動の精神的土台がこのアイン・ランドという作家なのです。
※余談ですが、米トランプ元大統領はアイン・ランドの『水源』を愛読していると公言しています。しかし氏の政策は典型的なポピュリズム思想なのでアメリカのアイン・ランド協会は、「トランプは『水源』を愛読していると公言しているが最後まで読んだかは疑わしい」と語っています。
さて、ではそもそもリバタリアニズムとは何なのでしょうか。前述した個人主義・合理主義・資本主義が本質であることは確かですが、リバタリアンも一枚岩ではありません。
○リバタリアニズムの分類
リバタリアニズムは3つの方向性に分けることができます。過激と言われるものから順に紹介していきましょう。
まずは「無政府資本主義」と呼ばれるものです。この考えでは政府の存在を認めず、道路や公園はもちろん、警察や裁判所などすべての公共財と公共サービスを民営化することを提唱しています。
つまり、これらの公共サービスは社会にとって必要不可欠であるので国家が安定供給するわけですが、「それだけの需要があるのであれば市場に任せても問題はない」とするわけです。田舎とかの到底利益は出ない公共サービスはどうなるんでしょうね…
リバタリアニズム2番目の分類は「最小国家主義」と呼ばれるものです。ミナキズムとも呼ばれるこれは国家の役割を「国防・司法・治安維持」に限定します。これは夜警国家と呼ばれるもので、1973年にハーバード大のロバート・ノージックが体系化しました。
無政府資本主義が共産主義的な思想そのものを認めない一方で、最小国家主義を唱えたノージックは他者の自由を侵害しない限り、個人の自由を尊重しました。たとえ共産主義的共同体に参加しようとする人々がいたとしても、脱退の自由が認められている限りそれは個人の自由であるとしたのです。
最後に紹介するのはリバタリアニズムの中でも最も穏健な立場である「古典的自由主義」です。古くはジョン・ロックやアダム・スミスを祖とし、近代ではフリードリヒ・ハイエクなどによって体系化されたこの理論はいわゆる「小さな政府」論です。
小さな政府では前回紹介したようなポピュリズム的な政府による過度な経済介入や個人の生活への介入、権利の抑制に否定的ですが、インフラ整備や医療、国防、治安維持など公権力が必要になる場合があるという点は認めています。
○最後に
以上のように、一口にリバタリアニズムと言ってもその思想は多種多様です。僕なんかは個人的に小さな政府論に心惹かれたりしますが、どうも最近の日本の主流は大きな政府のようです。水道事業民営化などの施策は小さな政府の代表例で、一時はその方向に向かうのかと思われましたが、コロナの影響で「大きな政府」への流れが加速したように感じます。「給付金」という一種の「富の再分配」はその最たる例だと言えますね。
新型コロナの拡大と経済へのダメージはポピュリズムvsリバタリアニズムという構図にも影響を及ぼしているのです。
3回に渡ってお送りしてきたポピュリズムとリバタリアニズム、平等と民主主義を重んじるポピュリズムと自由を重んじるリバタリアニズムの対立関係はすでに表面化し始めています。自由か、平等か。この問に明確な答えはありません。しかしどちらを選ぶかを常に考え続けることが必要な世の中になってきているようです。
(文責・宮島 凱生)