先週、大学でお世話になった村田安穂先生がご逝去されました。私が大学院を修了した時にご退官されているので、86歳くらいと思います。
デパートの紙袋に、資料を詰め込んで、教室に入ってこられました。その紙袋は、まるでドラえもんのポケットのように、なんでも出てくるのには驚きでした。
よく巡検(フィールドワーク)に出かけました。
登山コースでも、大学と変わらぬ服装とバック。
学校では足が痛いと言っているのに、墓地や寺社では飛び回るように移動されていた姿が目に浮かびます。
たまに合同コンパをやろうと指示を受け、幹事役を任されました。合コンと言っても、文学研究科の近世史ゼミとの合同飲み会。研究や将来の進路について、文研のゼミ生とも語り合いました。
先生ですが、早稲田大学教育学部の大先輩でもあります。
古本屋や本の話もしていただきました。
村田先生は、キリシタンから、廃仏毀釈の実態や神葬祭運動の展開を研究されていました。
私自身、高山右近の寺社焼き討ちなど、キリシタンとお寺や神社の関係を研究していたので、濃密なご指導をいただきました。
修士課程の2年間は、学業だけでなく、将来への不安もあり苦し時期でした。同級生は社会人として頑張っている中、こちらは古文書の整理や解読、それに心理学などのレポートに追われていました。1年浪人していたので、大きく遅れを取っているように感じていました。
そんな時、温厚な村田先生のお人柄とご指導に助けられ、今の私があります。
高校の教員だった頃に、博士課程に進学し、勤めながら、研究を続けるよう勧められました。
振り返ると、私の進路の分岐点でした。
在野の研究者から多くを学ぼうとされていました。
史料整理や地域史の編纂など、その姿勢を垣間見ました。
『大日本地名辞書』を編纂された吉田東伍先生は、早稲田大学でも教鞭をとられたそうですが、在野の研究者としての生き方を伝え聞きます。吉田先生のことも尊敬されていたと思います。
私たちの在籍した教育学部の地理歴史専修は、歴史だけでなく、地理も学ぶのは、吉田先生の影響も大きいと村田先生がお話しされていました。
そして、教育学部でもあるので、日本中世史や近世史といった専門分野だけでなく、日本史全体はもちろん、世界史や政治経済など幅広く学び、教員として、そして大人として、社会を見る目を養うことが求められました。
訃報に接し、同級生・先輩・後輩など知り合いに連絡しました。
教員や学芸員だけでなく、行政職員や議員、僧侶や神官、作家、ビジネスマンなど多彩なご活躍を知りました。
もう10年以上、連絡してこなかった方々とも、連絡はつくもので、近況を報告し合う機会にもなりました。
15年くらい前に集まった時には、海外進出も視野に、世界一周されている先輩もいました。今でこそ、ノマドや多拠点というライフスタイルは聞きますが、当時は驚きました。
日本攷究会の巡検では、一緒に歩く方々がみなさん先生なので、いたるところで解説が展開して、本当に贅沢な時間でした。
いろいろとお世話になった外園豊基先生も、暦の活動をされていた岡田芳朗先生も、世直しの佐々木潤之助先生も、頼朝を愛してやまない奥富敬之先生も、対外関係史の研究と図書館長も務められた紙屋,敦之先生も、民衆思想史の安丸良夫先生も、みなさんお亡くなりになられました。
卒業してからも研究室にご挨拶させていただいていた西洋中世史の佐久間弘展先生も早くにお亡くなりになりました。
卒業してから20年近くが経つわけですが、大学の時間は止まっていて、先生方は変わらず研究室にいらっしゃるように錯覚してしまいます。
意外に、写真は出てこないものですね。
でも、心の中には、村田先生と過ごしたときの映像は鮮明に残っています。
なかなかお伝えする機会はありませんでしたが、本当に感謝しています。
村田先生、ありがとうございました。