みなさんご無沙汰しております。とうとう大学3年生となり将来の不安からの撤退戦を計画立案しようとしています、宮島凱生です。激動の3月が終わり、大学で所属している合気道部の会計報告も無事大学当局へ提出することができました。
うちの部活はまさに財政不健全といった形でして、毎年赤字金が数多ある有様でした。一昨年から一年半かけてなんとか健全化を図ろうとしてきたのですが、これがなかなか難しいんですね。伝統を壊してほしくないというOBOGとの関係、指導していただいている師範との数十年の歴史…などなど、組織の改革というものは非常に難しいなぁと改めて思いました。
そんな話を山下さんとのオンラインミーティング中にしていたら「それこそが政治だ」とおっしゃっていただきましたので今回は身近な学生生活のなかでの『政治』というものについて書いていこうと思います。
さて、事の起こりは2019年10月、部活の会計業務を正式に引き継いだことから始まります。当時の我が合気道部は大学からの予算が年50,000円、当時5人いた部員一人あたりから年12,000円の部費を徴収しており、正規の収入は110,000円。赤字金はほぼ全てOB会からの支援として賄ってきていました。会計を引き継いだ当時はこんなものだろうと楽観視していたのですが、すぐに「これはまずいのでは」と思うようになります。
当時、令和元年度の総支出額は698,549円にのぼりました。誰がどう考えても釣り合いが取れていません。収入が10万円に対して支出が70万円。OB会には年60万円を負担してもらっていることになります。
このような状態になったのにはいささか仕方がないと言える経緯があります。2〜30年ほど前、我が合気道部には30を超える部員がいたようです。部員が多ければ当然部費の収入も多く、また規模が大きければ大学からの予算も大きなものでした。そんな中時の先輩方は今まで安くしてもらっていた師範指導料を自ら引き上げるよう願い出たそうです。
資本主義社会に生きる私にはどうにも理解できませんが、当時の先輩方はこれを行い、合気道部の最盛期を謳歌なされました。
さて、そんな合気道部も藤原道長が「望月の欠けたることもなしと想えば」と謳った後月が欠けていったように段々と部員が減っていきます。私の4つ上の代では部員数が二人、3つ上の代ではとうとう部員数が一人という時代を迎えます。
部員が一人や二人しかいないのですから通常の大学の部活動が機能するはずもありません。学外から迎えている師範との交流、OB会との連絡、各種行事への参加…などなど、やらなければならないことは増え、できないことも増えていきました。そうして会計のことにまで手が回らない当時の現役部員たちは、減っていく予算に反比例するようにOB会に助けを求めていきます。
当時の通年、合宿を含めた師範指導料は30万円前後でした。部活の規模が小さくなっていくにつれてOB会の負担は増えていきますが、自分たちで値上げを願い出たのにも関わら財政状況が苦しくなったので値下げしてくれとは言い出せるはずもありません。結局部の再興はならず、財政状況は好転しないまま我々の代を迎えます。
さて、こんな状況とはつゆ知らず。あまりの赤字額に腰を抜かした純真無垢な宮島青年は「支出の増大が問題なら支出を減らせばいいじゃないか!」と思い立ち、当時の部長に①指導料の減額②部活用携帯など無駄な経費の廃止を訴え出ました。この2つを行っても赤字は赤字ですが、15万円程度赤字額を抑えることはできる見通しです。
部内で危機感を共有し、監督に話を切り出すと、どちらも難しいという話になりました。キーワードは「面子」と「伝統」です。
我々が打診した2つの改革案、①指導料の減額と②部活用携帯電話の廃止ですが、①に関しては先に述べたとおり、自分たちで値上げを打診したものを覆すようなことができないという「面子」にかかわる理由、②に関しては伝統的に行ってきた主将携帯という制度を廃止するにはOBの理解が必要であるという「伝統」に関わる理由から非常に難しいということになりました。
私達現役部員はとにかく関係各所と危機感を共有することから始めました。まずは身近のOBに声をかけ、次にOB会の幹部陣の先輩方と話し合い、合気道の総本山である合気会に話を持っていき…と、根回しというものを学びながら話を進めていきました。
流石にそこでその話し合いの中身に触れるわけにも行かないのですが、結論から言うと無事師範指導料の減額と各種経費の廃止に成功しました。ネックとなっていた師範へのお願いもありがたいことに大変理解ある方だったのでスムーズに行きました。
しかし、都内の一私立大学の弱小部活の予算を変えるのに数ヶ月の時間をかけたことになります。
私は今回の一件で「伝統を変える」ことがいかに難しいことなのかを学びました。
よく政治家の方の演説で「変えていかなければならない」「変革しなければならない」というキーワードが出てきます。「とかいって何も変わらないじゃないか!」というような声も目にすることはありますが、伝統的な問題を変革するのにはとてつもない時間と力を必要にするのだろうということは想像に難くありません。
我が合気道部の現役部員が必死になって改革を進めた一番の理由は、「伝統ある合気道部を潰すわけにはいかない。次世代に責任を押し付けてはならない」というものでした。伝統か、革新か。身近な体験からその難しさを知ることが出来た前年度でした。
(文責・宮島 凱生)